このコメントは入野忠芳氏が亡くなられるひと月前に自ら記されたもので、お通夜、葬儀の折に参列者に配られました。
この度ご遺族の承諾を得て掲載させて頂きました。
お礼の言葉
昨年秋、黄疸の発症をみつけて病院を訪ねるとそのまま即刻入院。しかも余命わずかということになりました。
すべての仕事はここで終えても仕方ないけれど、壁画だけは諦めがつきませんでした。まわりの人たちに引き止められながらも、なんとか5月の末にはやりとげることができましたのは、奇跡が起きたとしか思われませんが、しかしなによりも大勢の方々の応援のたまものと深く感謝しております。妻の手伝いを得て死に物狂いで壁に向かいました。その間には10日間の再入院もありましたが、どこからあの力が出たのか分かりません。案の定、完成のあくる日から高熱に苦しみ、ついに何もできなくなってしまいました。
その年の春に、妻にとっては初めてのインドを旅してまいりました。釈迦が悟りを開かれた地、ブッダ・ガヤへまいりました。釈迦が瞑想のために坐した菩提樹が全世界の仏教徒を迎えています。私が対面するのは5度目でした。そして、入院する直前に描いた絵はこの菩提樹でした。巡り合わせを感じます。
胆道癌。私の独自の油絵技法の故に、溶剤を吸いすぎたようです。生と死の世界を描いてきたのですが、そこに自分の命も織り込んでいたことには気づきませんでした。でも、人はいずれ死ぬ。それが遠い日ではなくて、今の今であってもいいような生き方をしたいと常々思ってきたので大きな動揺からはまぬがれることができたと思います。
5歳の冬に電車にひかれて左手を失い、その年の夏に、被爆して九死に一生を得ました。そのことによって私の画家生活は、生涯原爆と対峙するものとなり、広島の画家として生きることを選んできました。
私の作品の主題である「崩壊と生成」、崩れてゆく力と生きようとする力とのせめぎ合う世界は、当然の成り立ちでした。近年私は、何百年と生きている巨樹を描くとともに、被爆樹木の尊厳を描いてまいりましたのも、当然の成り行きだったと思われます。
旅とは、旅のなかで生命が試され、旅のなかで生命が発見され、旅のなかで生命が定まる。ある宗教学者のこのことばを信条として生き、制作してまいりました。そして今のいま、あるべき姿で私の命が定まりつつあるのかもしれないと思います。
みなさん、私とかかわりを持ってくださったすべての皆さんにお礼を申し上げます。ほんとうにありがとうございました。みなさんの健康を心からお祈りします。さようなら。
2013.9. 入野忠芳